心に残るせんてんす
人間、まことに自己中心的
折角早く起きたのに、下痢また下痢、幾度もトイレに通って、今日もまた礼拝に遅刻。
礼拝に遅れずに行くことのできた頃は、遅れて来る人に同情がなかった。人間、まことに自己中心なものなり。

信ずる者には、幸も不幸も祝福の裡(うち)にある
大体私たちは、思わぬ事故や、病気や、経済的な破綻に遭うと、たちまち「神の御旨ではない」と、否定的に断定するところがある。これは即ち、物事がうまくさえいけば、神の祝福と思いこんでいるからではないか。これではいわゆるご利益宗教の考え方と、ひとつも変わらない。一生苦労つづきのままに終わったからといって、どうしてそこに祝福がなかったと言えるのだろう。
また、すること、なすこと、すべてうまくいき、一度も病気をせず、怪我もせず、思うがままの一生を終えたからといって、それだけで神に祝福された一生と言えるだろうか。(中略)
信ずる者には、幸も不幸も祝福の裡(うち)にあることを主人公に学ぶ。感謝。

きょうだいであるということ
きょうだいであるということは、もしかしたら、しんとなるものがその底にあるのかも知れない。<神、天地を造り給えり>につながるものが、あるのかも知れない。肉親というもの、お互いにお互いを選んだのではない存在、それでいて愛さずにはいられない存在、やはりしんとなる。

心の底には、本当にすべてを捧げたいという気持ちはある
「先生、人間は元来けちなものですよね。しかし心の底に、本当にすべてを捧げたいという気持ちはあるのですよね。その対象が見つかった時、けちな人間が喜んで捧げる人間に変わるんですよね。」(中略)
電話を切って、ふと思った。恋人にプレゼントをする時の心持ちを考えてみた。借金をしても恋人にはすばらしい贈り物をしたいものだ。そのお返しはもらわなくてもいい。只受け取ってくれるだけで幸せなのだ。キリストを真に愛する人の心はこれに似ていると思う。

どんな人間にも、絶対という言葉は使えない
東京の女性からの手紙に、「三浦さんのおっしゃることは、絶対にまちがいないと思います」とあって、あわてる。どんな人間にも、絶対という言葉は使えないと聞いた。が、しかし人間は「まちがう者」「死ぬ者」の二つだけには「絶対」をつけてもいいと思う。人間はともすれば活字を信ずる。活字化されたものに傾倒する。それが怖い。(中略)
自分は絶対にまちがいがないとか、自分の属する仲間には絶対まちがいがないなどともし思うならば、もはやそこには神はいない。そして恐ろしいファシズムが頭を擡げる。

怨念の激しい霊ほど、強い守護神となる
山本講師の話の中に、四国高松城主守護神の由来が出た。高松城は蜂須賀公の築城による城とか。この地に清玄坊というなかなかの荒法師がいて、その地域より立ち退かず、築城の邪魔になるということで、蜂須賀の手によって殺された。しかし殺された清玄坊は豪の者、どんな祟りがあるかわからぬ。これを恐れるあまり、城の傍に宮を造り、清玄坊を守護神に祀った。怨霊信仰によれば、怨念の激しい霊ほど、強い守護神となるのだそうな。
そう言えば、菅原道真も、大宰府に無念の死を遂げたが、その死後あちこちに落雷があったとか火災が起きたとかで、いつの間にか天神様に祀り上げられることになったという。神社のこの構造の奇妙さよ。

ごきょうだいは何人です
ふっと、Nさんの言葉を思い出す。いつであったか、「ごきょうだいは何人ですか」と尋ねたら、彼はちょっとソファーの背にもたれて、天井の一角を見つめていたが、
「さあ、何人ということになるのかなあ」
と答えた。ふざけているのかと思った。
「どうしてそんな簡単なことがわからないの」
と聞くと、彼はまじめな顔で、
「それがさあ、どこからどこまでがきょうだいか、わからないんだ」
「え?何ですって」
「つまりさ、ぼくのおふくろが、おやじと結婚して生まれたのが、兄貴とぼくと妹でさ。そのおふくろが死んで、次のおふくろが二人連れ子しておやじと結婚してさ。それからおやじが死んでね、子供の二人いる男とそのおふくろが結婚してさ、ま、こんなふうになっていると、どこからどこまでがきょうだいとすべきか、ぼくにもわからないんだ」
と、彼は苦笑したのだった。(中略)Nさんは、きょうだいだけにとどまらず、どこまでを父親と呼び、母親と呼ぶべきか、それもわからないのだそうだ。「どうしてそんな簡単なことが……」などと言った自分が愚かに思われる。

自分の一人息子を殺した犯人を受洗にまで導く
私はもともと死刑については反対の立場を取っている。悪い奴だから殺せばよい、というだけで根本的に問題が解決するのか。殺された側の遺族の感情は痛い程よくわかる。私がカリエスで臥ていた時、遠縁の者が二人殺された事件があった。幼い子供と若い母親だった。それへの痛みが、<汝の敵を愛せよ>の聖句への私なりの取り組みとなり、小説『氷点』が生まれた。その『氷点』を書いた頃、「犯人の娘を引き取るなど、有り得るか、何と無理な設定か」と非難された。
しかし私は、その頃常田二郎牧師から、岡山のクリスチャンTさんの話を聞いた。Tさんは、自分の一人息子を殺した犯人の減刑運動をし、遂にその殺人犯を受洗にまで導き、母子にも似た友情を持って交わっているということであった。
私が死刑反対をし、教育刑を望む背景には、このTさんの苦悩と信仰による愛の姿もある。

好きか嫌いかぐらいで、事を決めてはいけない
聖日礼拝。二ヶ月前から手紙で面会を申しこんでいた女子大生が出席していた。礼拝後、女子大生と名乗り合う暇もなく、旅行中の一人の青年が、話を聞いて欲しいと言う。女子大生には待ってもらって、三十分程話し合ってから、
「前もって、こちらの予定を聞いてくださると、ゆっくりお話ができたのですが」
と、私が言うと、彼曰く
「ぼくはそんなことは嫌いなんです。明日をもわからぬ人間に、予定を立てるだの、予約するだのということは、ぼくにはできません」
なるほど、確かに人間は明日をも知らぬ命を生きている。が、ご説ともっともと、頭を下げるわけにもいかない。いつか、ある牧師が、「好きか嫌いかぐらいで、事を決めてはいけない。結婚だって同じです」と言った言葉が、意味深く思い出された。

これだけは妥協しない
<父に対する私の抵抗は「神」の疑問から起った。毎朝、食事前に神棚に拍手を打つ習慣に抗ったのである。神棚には天照大神と出雲大社の札が入っていた。これに礼拝しなければ食事を摂ることを許されなかったから、この拒絶は当然朝食を絶つことであった。母は 「ただ掌を合わせるだけでいいのだから−」と気を遣ったが、私は「これだけは妥協しない」と我を張りつづけた。神を意識しないうちならそれでもいい。しかしその存在に疑いをもちながら掌を合わせることは偽善であったし、仮に存在するとしたら神への冒涜であると思ったからである。>
驚くべきことに、この抵抗は何と十六歳頃から始まっている。(中略)
それにしても、僅か十六、七歳の時である。食べ盛りの年代である。その少年が、たとえ朝食を絶たれても、「これだけは妥協しない」と、漫然と神々を拝むことはしなかった。これが人間として、いかに大事なことであるかを知る人は、今尚日本には少ないのではないか。
氏の人間としての資質の高さを、私はここに見たような気がした。

どこに自分の愛する子孫に祟る先祖があるものですか
見知らぬ婦人より手紙。日刊紙連載中の私の小説「夕あり朝あり」を読んで、喜びのあまり泣いたとか。不幸のつづくこの女性に、知人の誰彼から電話がきて、「先祖の祟りだ」と言いつづけるのだという。
そこで私はその箇所を読み返して見た。ドライ・クリーニングを開発した主人公の五十嵐健治が、機械の爆発によって、全治九ヵ月もの大火傷を負う。その時のことを述懐して、八十を過ぎた主人公が語る条(くだり)だ。
<方角が悪いだの、判こがどうの、家相がどうの、ま、そんなことは気に注(と)めないことですな。また、先祖の祟りがあるなどと言うのは、あれはいけませんな。どこに自分の愛する子孫に祟る先祖があるものですか。仮に私が死んだあとにですな、子孫に気に食わぬ者が出たからといって、どうして祟ったりなどするでしょう。祟るほどの力があれば、もっとよいほうに導いてやりますよ。それでこそ先祖と言えるのではありませんかな>

人間は、死に対して永久に馴れることはできない
人は誰もが死ぬ。生きているということは、いつか死ぬということだ。アダムとイブが神の命令に反して知恵の実を食べて以来、全人類は死を賜った。地球上にある人間は、すべて死んでゆくと承知の上で、人は死に対して驚く。決まっていることが起きただけだ。死はどんでん返しではない。そうは思っても驚く。この齢まで、どれだけの人々の死に遭ってきたことか。人間は、死に対して永久に馴れることはできないのだ。

むずかしさ
『百万人の福音』のためのエッセイ「風はいずこより」の第一回目を書く。僅か二枚だが、短いほどむずかしく、時間を要するよく、「ほんの二、三枚ですから、おねがいします」と依頼してくる人がいるが、短いものはやさしいと、なぜ人は思ってしまうのだろう。俳句も短歌も短いが、むずかしい。むずかしさは長短では計れない。

人間は何と生きることに馴れ得ないものであろう
しかし人間は何と生きることに馴れ得ないものであろう。六十五年も生きていたら、いい加減生きることの達人になってもいい筈なのだ。だが、今日何が起きるか予想もつかないし、明日の社会が、人間関係が、健康が、どんなふうに変わるか、全く予見できない。毎日が実に「今日初めて」なのだ。

狼という字
狼という字はおもしろい字だと、先生は言われた。なるほど、残忍な動物と思われている狼に、「良」の字がついている。人間も、一見「良」という字がついていそうで、狼のような人間も少なくないのではないか。

役員を選ぶ基準
誰に聞いた言葉だったか、何処で読んだ言葉だったか忘れたが、「」とのこと。ずばり核心を射た言葉だ。教会の役員に、最も求められるものは信仰の筈である。決して才でもなければ、財でもない。

どんよりと曇った空
どんよりと曇った空を見上げて、「どんより」という形容詞に、今更のように驚きを感ずる。何と的確な形容であろう。曇った空を形容するのに、この「どんより」を超えることはできないのか。いや、「どんより」だけではない。自分の使う言葉一つ一つを、的確に表現することができたら、どんなに素晴らしいだろう。残念ながら、それは夢のまた夢である。いたしかたなく「どんよりと曇った空」を見上げる。

エリヤのからす
私の小説「ちいろば先生物語」の主人公榎本保郎牧師は、ある時幼稚園の園長として与えられている園長手当を、全部捧げようと決意された。牧師は教会からの謝儀だけで生きてゆくべきだと、祈りの中で決意されたのである。しかしこれは、収入がいきなり半減する ことであった。当然家計のやりくりを委せられている夫人は反対した。どんな牧師夫人であっても、それは当然反対するにちがいない。が、祈りの中で神と約束してしまった榎本牧師は、これを撤回するわけにはいかない。
と、その時、お子さんの一人が二階に駆け上り、一冊の絵本を持って来た。そこには、からすに養われているエリヤの姿が描かれてあった。
「これ、見い。エリヤのからすや。からすが養ってくれるんや。神さまがそう言っていなはるんや」
お子さんはそう言ったのだ。榎本牧師はその言葉に涙が出たという。こうして園長給を捧げるに至ったが、まことにエリヤをからすが養うごとく、榎本家の生活には様々な奇蹟があったとか。

信仰のことは予算がなくとも必ず信仰によって出来る
本気で神を信ずる、これが私たちにはなかなかできない。口実や弁解が先に立つ。榎本先生は言った。
「予算がないからできないと言うのは、役所仕事や。信仰のことは予算がなくとも必ず信仰によって出来る」
榎本先生といい、福島先生といい、献身の生涯を送ろうと決意した人は、信仰がちがうのであろうか、ふっとそんなことを考える。

「いじめ」の記事
またしても「いじめ」の記事を読む。いじめた側は、いじめはなかったという。いじめられた側は、死ぬほど辛いいじめを経験しているという。人間は他の人の痛いことなら十年でも我慢する。「泣く者と共になけ」の聖書の言葉など、私たち人間には少しも身につかないのだ。ふっと、ルイ・アンゴラの、
「教えるとは、共に希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」
という言葉を思い出す。現代、この言葉を知っている親や教師がどのくらいいるだろうか。

すばらしいものはみんなタダ
朝さんの本に、「すばらしいものはみんなタダ。愛情、太陽、空気、水、勇気、信じること、情熱、好奇心……」とあったのを思い出す。すばらしいものが、すばらしいものとわかること、これは実に私たち人間にとって稀有のことなのだ。何が大切なのか、何がすばらしいのか、それを知らずに生きているのが私たちだ。

仕える姿勢で生きていられる方
松井義子さんが傍らに来るなり、
「ここを揉むと楽になるのよ」
と跪いて、あっという間もなく、私の足の裏を揉んでくださる。きっと、松井さんはいつもこのように人の足を揉まれる方なのだ。仕える姿勢で生きていられる方なのだ。

タバコを喫すことのできぬ体質
桝井先生は一日何十本ものヘビー・スモーカーであったとか。ところが、生まれて初めて十字架による救いに迫られて罪を悔い改め、夜を徹して祈られた。と、どうしたことか、それ以来一本のタバコも喫うことのできぬ体質に変えられていたとか。この、夜を徹して祈った時、部屋に光が満ちあふれたのを見られたとも聞いた。凄い祈りだったのだと、深く感じ入る。

青年の笑顔
長島の愛生園から、ハンセン氏病の方々も四人来てくださる。胸が迫って、思わず肩を抱き合う。会えると思っていた谷川秋夫氏は病状が悪く欠席とか。聴衆のほとんどは大変な重荷を負いながらも明るい。両手を使えず、あごで巧みに車椅子をくるくると操って見せてくれた青年の笑顔も心に残る。

キリスト者
戦時中、幾人もの牧師や信者たちが、その信仰の故に投獄された。そんな時代に、奥村氏は軍隊において、キリスト者であることを隠さなかった。幹部候補生の受験の際、上官からひそかにとどめられていたにもかかわらず、試験官に自分はキリスト者であると、堂々と告げた。それがどれほど勇気の要ることであったか。

明るさ
氏のお嬢さん、立つことができないというのに、実に明るい。急にそんな容態となって、まだ一ヶ月と経っていない。余りの明るさに、さすがは信仰の人、奥村氏のお嬢さんだと感服する。

とっさの一言
「とっさの一言に全人格が出る。何げない言葉こそが、その人の本音であり実力だ」
と、ある牧師が言ったことを思う。確かにこの「とっさ」が怖い。思わず、「いやです」と拒絶したり、「すばらしい」と賞賛したりする時に、自分の全部が外に出るからだ。ふだんはその「とっさ」の言葉を、コントロールして生きているのだが、そのコントロールがきかず、ひょいと出た言葉が、人を傷つけてしまう。一度口から出た言葉は、戻ってはこない。
それはともかく、どんな時に出した「とっさ」の言葉でも、人を励まし、慰める言葉であることが肝腎なのだ。聖書を読むと、イエスさまの言葉には、実にとっさの言葉が多い。例えば、あの荒野の試みの場合もそうだ。
「お前が神の子であるなら、石がパンになるように命ぜよ」
とサタンが誘った時、キリストはよくよく考えてから答えられたのだろうか。おそらく、とっさに答えられたにちがいない。
「人はパンだけで生きる者ではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる者である」
と。改めて感銘す。

本当の愛とは
何かに、「愛するに値しないものを愛すのが本当の愛だ」と書いてあったのを読んだことがある。三浦はその本当の愛をもって、私と結婚してくれたのだ。

一日一日
とにかくどんな一日だって、あってもなくてもいい日はないのだ。大事に大事に生きねばならないのだ。

にわかに死ぬ
<朝が来れば、夕べまでは生きられぬと考えなさい。夕べには、朝を迎えることをあえて期してはいけない。それ故常に備えをなし、死が不意に訪れることのないよう生きなさい。多くの人は思わぬ時、にわかに死ぬ>
ぎょっとする言葉だ。が、ごく当たり前の言葉でもある。当然のことを言っているのだ。今日のこの日、一人残らず明日まで生きているわけにはいかない。明日の今頃までに、おそらく何万人という人が、あるいは長患いで、あるいは心臓麻痺や脳出血の突然死で、あるいは交通事故で、地震で、暴風で、その尊い命を失ってしまう筈なのだ。それをわがこととして、覚悟して生きるか、他人事として生きるかで、生き方に差ができる。
死ぬ間際になってからでは確かに遅い、そのずっと以前に、各自が「今日死ぬ者であること」を銘記すべきだと思う。

周囲を見る
帰りの車の中で、札幌医大療養中の私自身を思い返す。自分の内面ばかりを見つめて、ものうく生きていた私に、黒田先生は言われた。
「自分の内側にばかり目を向けず、その視線を周囲に向けてごらんなさい。あなたの助けを求めている人が、必ずいる筈ですから」
あおの一言は大きかった。その三ヵ月後に私は受洗したのだった。

呻きともつかぬ低い叫びのような声
時折聴衆の中から、呻きともつかぬ低い叫びのような声が聞こえる。初めは何の声かと、心が落ちつかなかったが、知恵遅れの人の声と知らされる。そうと知ると、話に一心に相槌を打っているように思われて、何とも言えぬ親しみを感ずる。

奇跡
一つの事件が起きる時、犯人だけが救われねばならぬ存在ではない。被害者もまたその憎しみ、怒りから救われねばならぬのだ。しかもこの双方が和解して初めて、事件は完全に解決したことになる。
「それは理想論だ。そんなことがこの世にあり得ようか」
と、私自身かつて思ったことであったが、事実Tさんの上には、そのような奇蹟が起こったのだ。「一人の可能性は万人の可能性だ」という言葉もある。聖書にも「人にはできない事も、神にはできる」と書いてある。祈りの課題としたい。

多喜二の母
一人の母親を書くということは、全家族を書くことだ。多喜二の母が亡くなられて既に久しい今、その母を知る人も少ない。到底無理だと思ったことだった。
一旦は三浦の熱意に負けて、書こうと思ったのは四年前であった。それは、多喜二の母の葬儀が、小樽シオン教会においてなされたことを知ったからでもあった。多喜二の母がクリスチャンになったのだと思ったのだ。が、彼女は、教会に長く通い、牧師の訪問も度々受けたが、遂に信者にはならずに、晩年共産党に入党した。しかし、葬式は教会でして欲しいと言っていたという。
そのあたりに私の心を動かすものもある。拷問で愛する息子を殺された母親としての、微妙な心の揺れも今改めて感じさせられもする。共産主義の思想など知るべくもなかった母親の立場から、見たこと感じたこと、それなら書けるだろうか。

日本の芸術
劇団の人たちは皆、昼は働き、週に何回か集まって、練習をするのであろう。だからすべての点で素人ではあろう。だが玄人の芝居にもまして心を打つ純粋さ、ひたむきな情熱を感じてうれしかった。おそらく日本中に、地方に住む人々のこうした劇団が数え切れぬほどにあるのだろうが、その求道的なまでの、人生への真摯な態度が、各地においてどれだけ評価されていることであろう。地元の劇団をこそ、声援し盛り上げることをしなければ、日本の芸術の裾野は広がらないと思う。それは芝居のみならず、美術にしても、文学にしても音楽にしても同じことだ。

アンネの童話
それはともかく、あの恐ろしいゲシュタポに、毎日つけ狙われながらの隠れ家生活において、アンネは数篇の童話さえ書いていたのだ。アンネという少女は、何という高貴な魂の持ち主なのだろう。アンネがいかに信仰の篤い少女であったかを、その日記に見て感動した日のことを思い出す。そして、ゲシュタポも殺し得なかったアンネの魂を思う。

わたし、癌では死なないわよ
先生の亡くなられた今、「わたし、癌では死なないわよ」と言う先生の言葉の重さ、大きさを改めて知った。私が直腸癌になった時、この言葉を幾度思ったことか。藤田先生は、「わたしが癌で死ぬと、たくさんのお友だちが、ああやはり癌は死病だと、思いこんでしまうでしょ。健康な人のためにも、癌を病む人のためにも、わたし、癌では死ねないの」
と言われ、そして二十五年間生きつづけられたのだ。見事だった。
私は手術後まだ五年だ。息切れしてはなるまい。命の最後の一滴まで生き切った先生のように、生きねばなるまい。

輝く顔と暗い顔
人間、伝道をしようと思えば、寝たっきりの身でもできるのだ。いや、神が用いようとされれば、矢部さんのように寝たっきりでも、水野源三さんのように、手も足も口もきけなくても、星野富弘さんのように、首から下が付随でも、立派に伝道できるのだ。
矢部さんは、腹這いに寝た姿のままで、炊事もすると言っていられた。何とてんぷらも揚げられるそうだ。相変わらず輝くような顔だ。手足の自由は者たちのほうが暗い顔をしているのは、どういうことだろう。

一人一人の人格を大切にする
私は以前から八柳鐵郎さんの随筆を新聞や雑誌で読んでいて、心から驚嘆していた。むろん文章がうまいということもある。が、それ以上に私を驚かせたのは、氏の夜の世界に働く人々に対する言い様もない優しさであり、あたたかさであった。私は氏の随筆集で、一人一人の人格を大切にするということがどんなことか、改めてわかったような気がした。聖書には、<喜ぶ者と共によろこび、泣く者と共になけ>とあるが、氏の姿は正にその姿であると思う。

多過ぎるということは、少な過ぎるということ)
ロマン・ローランの言葉に、
「多過ぎるということは、少な過ぎるということになる。余りに健康な人ほどひどい病人はない」
という言葉があった。兼好法師も、病んだことのない者を友に選ばず、という意味の言葉を残している。が、ローランはもっと突っこんで、病気と健康という問題について、鋭い目を向けている。ローランはまた、
「富は一つの病である。金持ちはみな異常な存在である。金持ちに人生がどんなものか、わかるのか」
とも言っている。

過ちを認めなければ、真の進歩はない
キリストの十字架を見上げる時、人はいやでも、自分のみにくさ、いや、過ちに気づく。国家も個人も、自分の過ちを認めなければ、真の進歩はなく、従って真の幸せもない。

キリストの助け
窓べに立って外を見ていた三浦が、呟くように言う。
「天は自ら助くる者を助く、という諺があるが、考えてみると、キリストは、自らを助けようにも助け得ない者を、助けてくださるお方だね」
私は声を上げて言った。
「光世さん、いい言葉ねえ。全くそのとおりよ。人間は、自分自身を助けようにも助け得ない者なのよね。それを助けてくださるから、救い主なのよね」

とどまることが大いなる前進
三浦は時々、箴言に似た言葉を吐く。私は三浦を「考える人(シンカー)」と呼ぶ。こんな言葉もあった。
「神の御手にとどまることほど、大いなる前進はない」
これもいい言葉だ。

既に誰かが言っている言葉
感心する私に三浦はいつも言う。
「わたしなんぞの言う言葉は、すべて既に誰かが言っている筈だ。ちょっと表現をひねってみるに過ぎない」

サタンは働き者
「サタンはあんたたちほど怠け者ではない」
という誰かの言葉があったっけ。全くだとつくづく思う。ちょっとした隙にサタンは私たちを堕落させてしまう。神を疑ったり、人を憎んだりする時、それはサタンがせっせと勤勉に私たちに働きかけている時なのだ。そのサタンの何倍も私たちが勤勉にならなければ、すぐに足もとをすくわれてしまう。サタンの勝利に終わらせてはならない。

芸術
ルオーは、「芸術とは目に見えるものを写すことではない。見えないものを見えるようにすることだ」と言っている。なるほどと思う。目に見えないものとは、即ち神だ、真理だ、愛だ、悲しみだ、喜びだ。ルオーの描いたキリストが、人の心を打たずにおかない理由がこの言葉でよくわかる。
この言葉をつきつめると、神不在の芸術はないということかもしれない。

花と人
そんなことを考えていると、野の花がたとえ日陰であろうと、谷の断崖であろうと、全く人目のつかぬ場所であろうと、自分の命の限り咲いているということの尊さが思われた。花たちの使命は、生まれた場所がいかなる所であろうと、命の限りに咲くということにあるのだ。そう思って、改めて感動した。
ところで、手も足も口も目も耳もあるこの人間は、言葉というものもあって、かなり自由に、その住む所も職業も選べるわけだが、野の花たちほどに、使命の限り生ききっているだろうか。生きるということは、命自身を喜ぶことだ。神に向かって喜ぶことだ。私はふっと、水野源三さんを思い浮かべた。

この賢い子が、今身に沁みて覚えなければならないこと
教室に入ったわたしは、教科書を開かずに、まず芳子の名を呼んだ。
「芳子ちゃん、一緒に遊ぶことができないのなら、一緒に勉強しなくてもいいんですよ」
わたしのきびしい言葉に、芳子はハッとしたようにうなだれた。
「お立ちなさい。芳子ちゃんは勉強しなくてもよろしい」
芳子は泣き出した。
「芳子ちゃんと一緒に遊んでいた人たちは、なぜ加ててと人が言った時、加ててあげなかったのですか」
そうは叱ったが、その子供たちはそのまま机にすわらせておいた。芳子は泣いて謝ったが、わたしは決してゆるそうとしなかった。この賢い子が、今身に沁みて覚えなければならないことを、わたしは叩き込んでおきたかった。とうとうその日は、芳子を教室の隅にすわらせたまま自分の席に戻さなかった。
翌日、翌々日と三日間遂に芳子は自分の席に戻ることができなかった。
わたしは、心ひそかに芳子に期待していたのである。貧しいとか、成績が悪いということで、人間を差別してはいけないということを、少女のうちにしっかりと胸に刻みこんで欲しかったのである。

どちらが正しいのか
わたしにとって、切実に大切なことは、
「一体どちらが正しいのか」
ということであった。
なぜなら、わたしは教師である。墨でぬりつぶした教科書が正しいのか、それとも、もとのままの教科書が正しいのかを知る責任があった。
誰に聞いても、確たる返事は返ってこない。みんな、あいまいな答えか、つまらぬことを聞くなというような、大人ぶった表情だけである。
「これが時代というものだよ」
誰かがそう言った。時代とは一体何なのか。今まで正しいとされて来たことが、間違ったことになるのが時代というものなのか。

乞食の言葉、教師の言葉
実の話、わたしは本気になって、乞食でもしようかと思っていた。乞食の言葉は、決して人々にそれほど大きな影響を与えることはない。誰も乞食の言葉を信用することはないからだ。けれども、一段高い所に上った教師の言葉を、純真な子供たちは、疑いもなく信じこんでしまう。信じられるということの責任を、敗戦によってわたしは文字通り痛感したのである。乞食になって、誰にも何をも語らず、ひっそりと生きて行くならば、少なくともこの世に害毒を流す恐れはないと思っていた。そして、それが生徒たちへの、教師としての自分の詫びであるとも思っていた。

「信ずる」ということ
しかし、わたしの心は、彼を離れて暗く荒れて行った。もはや、その時のわたしには、「信ずる」ということが、一切できなくなっていたのである。
二十三歳の年まで、信じ切っていたものが、何もかも崩れ去った敗戦の日以来、わたしは、信ずることが恐ろしくなってしまった。

人間とは、悩み多いものであるべき
「一郎さん、あなたは、どんな悩みを持っていて?」
「ぼくには悩みなんて、何にもないな。悩みなんてぜいたくだよ」
彼は明るい顔で、何の屈託もないように答えた。あるいは、病床のわたしに、悩みなど話すことは、タブーだと思っていたのかもしれない。だが、わたしは若かった。その言葉を聞いたとたん、
(悩みのない人など、わたしには無縁だ)
と、思ってしまったのである。わたしは、人間とは、悩み多いものであるべきだと思っていた。
少なくとも人間である以上、理想というものを持っているべきではないか。理想を持てば、必然的に現実の自分の姿と照らし合わせて、悩むのが当然だとわたしは思っていた。私の悩みは、何とかして、信ずべきものを持ちたいということの反語ではなかったろうか。

生きるために一番大事なもの
療養所は、男女合わせて、三十人ばかりの小さな療養所であった。患者の中には、三木清に傾倒するヒューマニストもいた。懐疑的なわたしに向かって、
「ヒューマニズムって最高だと思わない」
と、目を輝かすその学生に、わたしはついては行けなかった。
人間が中心の思想に、わたしは何の感動もなかった。あの、忘れられない敗戦の、苦い体験が、わたしに人間というものの愚かさ、頼りなさをいやというほど教えてくれた。
「君は懐疑のための懐疑主義者じゃないか」
そうも言われた。
また、非常に心のきれいなマルキストも、療養者の中にいた。彼は熱心にわたしをマルキシズムへ誘おうとした。だが、わたしは、唯物論を理解することができなかった。ベッドに寝ていて、白い壁をながめる。朝の壁の色と、昼の壁の色と、そして夕べの壁の色とは全くちがう。壁はたしかに客観的にそこに存在する。しかし、いつの壁の色が、その壁本来の色であろうか。わたしは、そんなことからでも、何か、人間の客観性というものを疑わずにはいられなかった。まして、人間の目は、ほんとうに生きるために大事なものを全部見ているとは思えなかった。否、生きるために一番大事なものを、人間の目は見ることができないような気さえした。

精神的日雇
究極の生きる目的は依然として見出せなかったが、さし当たって毎日の仕事が沢山待っていて、結構忙しかった。忙しければ気も紛れて、わたしは時々自分でギョッとすることがあった。
(わたしは何のために生きているかわからないのに、どうしてこんなふうに多くの人と話し合い、会の仕事をして行くことができるのだろう)
忙しさに紛れて、自分の生活が何かごまかされているような、押し流されているような、そんな感じがわたしにはひどく恐ろしかった。こんなふうに、いい加減に生きることに馴れてしまっては、わたしは今に本当に駄目になってしまうと思うことがあった。
(わたしは今に、気の紛れることさえあれば、その日その日を暮らして行ける、精神的日雇になってしまうのではないだろうか。今にその気の紛れることが、単なる遊びであって、遊びによって自分を忘れた生き方をしてしまうのではないだろうか)
そんなふうに思い始めた頃、わたしの部屋を訪れたのは、結核患者の会の会員である幼なじみの前川正であった。

生きるということ
その言葉はわたしには痛かった。わたしには、同生会の書記をしている関係もあって、異性の友人も何人かいた。そして、その中には簡単に愛を打ちあけてくる青年もいた。わたしは、人の心を大事にするということがどんなことか、まだわからなかった。愛するという男には、愛しているとわたしも答えた。それがどんなに悪いことかということなど、考えてもいなかった。なぜなら自分自身、生きるということが、どういうことかわからず、目的もなくただ生きていたから、他の人々もまた無目的に生きているに過ぎないものに思えた。

男が女を愛する
それでもたまに、
「愛するってどんなことなの」
そう反問することもある。するとある人はわたしに、アクセサリーをプレゼントしたり、ある人はまた、わたしの肉体を欲しいと言ったりした。その度に、わたしは心の中でゲラゲラ笑い出した。
(男が女を愛するって、そんなことだろうか)
わたしには、もっと違うものに思えてならなかった。

真剣に生きようとしない人を見るのは、とても淋しい(道ありき、三浦綾子)
前川正は、そんなことを言って、一度川口勉に会って話をしたいなどと言ったりもした。わたしにはつまらないようなことだったが、自分の命の年を知っている前川正にとっては、冗談ごとではなかったのであろう。彼は、
「真剣に生きようとしない人を見るのは、とても淋しいのです。それがたとえ綾ちゃんでなくても、淋しいことに変わりはありません」
などと、葉書に書いてくれたこともある。
そんな前川正の思いとはかかわりなく、わたしは相も変わらず、怠惰に生きていた。死のうとして死ぬこともできなかった自分を、わたしは自嘲していたのかも知れない。

人間らしい涙
(結局は虚しいことじゃないか。何もかも死に絶える日が来るのだから)
そんなことを思いながら、丘に立って旭川の街を見おろしていた時、
「ここに来たら少しは楽しいでしょう」
と前川正が言った。
「どこにいても、わたしはわたしだわ」
ソッ気なくわたしは答えた。
「綾ちゃん、いったいあなたは生きていたいのですか、いたくないのですか」
彼の声が少しふるえていた。
「そんなこと、どっちだっていいじゃないの」
実際の話、わたしにとって、もう生きるということはどうでもよかった。むしろいつ死ぬかが問題であった。小学校の教師をしていた頃の、あおの命もいらないような懸命な生き方とは違った、「命のいらない」生き方であった。
「どっちだってよくありませんよ。綾ちゃんおねがいだから、もっとまじめに生きてください」
前川正は哀願した。
「正さん、またお説教なの。まじめっていったいどんなことなの?何のためにまじめに生きなければいけないの。戦争中、わたしは馬鹿みたいに大まじめに生きて来たわ。まじめに生きたその結果はどうだったの。もしまじめに生きなければ、わたしはもっと気楽に敗戦を迎えることができたはずだわ。生徒たちにすまないと思わずにすんだはずだわ。正さん、まじめに生きてわたしはただ傷ついただけじゃないの」
わたしの言葉に、彼はしばらく何も言わなかった。郭公が朗らかに啼き、空は澄んでいた。黙って向き合っている二人の前を、蟻が無心に動き回っていた。
(この蟻たちには目的がある)
わたしはふっと、淋しくなった。
「綾ちゃんの言うことは、よくわかるつもりです。しかし、だからと言って、綾ちゃんの今の生き方がいいとはぼくには思えませんね。今の綾ちゃんの生き方は、あまりに惨め過ぎますよ。自分をもっと大切にする生き方を見いださなくては……」
彼はそこまで言って声が途切れた。彼は泣いていたのだ。大粒の涙がハラハラと彼の目からこぼれた。わたしはそれを皮肉の目で眺めながら、煙草に火をつけた。
「綾ちゃん!だめだ。あなたはそのままではまた死んでしまう!」
彼は叫ぶようにそう言った。深いため息が彼の口を洩れた。そして、何を思ったのか彼は傍にあった小石を拾いあげると、突然自分の足をゴツンゴツンとつづけざまに打った。
さすがに驚いたわたしは、それをとめようとすると、彼は私のその手をしっかり握りしめて言った。
「綾ちゃん、僕は今まで、綾ちゃんが元気で生きつづけてくれるようにと、どんなに激しく祈って来たかわかりませんよ。綾ちゃんが生きるためなら、自分の命もいらないと思ったほどでした。けれども信仰のうすいぼくには、あなたを救う力のないことを思い知らされたのです。だから、不甲斐ない自分を罰するために、こうして自分を打ちつけてやるのです」
わたしは言葉もなく、呆然と彼を見つめた。
いつの間にかわたしは泣いていた。久しぶりに流す、人間らしい涙であった。
(だまされたと思って、わたしはこの人の生きる方向について行ってみようか)
わたしはその時、彼のわたしへの愛が、全身をつらぬくのを感じた。そしてその愛が、単なる男と女の愛ではないのを感じた。彼が求めているのは、わたしが強く生きることであって、わたしが彼のものとなることではなかった。

真剣とは、人のために生きる時にのみ使われる言葉(道ありき、三浦綾子)
(人間は死ぬ覚悟ができると、案外冷静なものだ)
その時わたしはそう思ったものだ。だが、後になって思ったのは、自分の死に対してさえ、真剣でもなく熱心でもなかったということである。
(自分の死に対してさえ真剣になり得ぬ者が、どうして毎日の生活に真剣であり得よう)
わたしはあの夜まで、自分自身が虚無的であったにせよ、それはそれなりにやはり人生に対してまじめだと思っていた。まじめだからこそ、絶望的になることができたのだと思っていた。だが、それは自分の間違いであることに気づいたのだ。気づかせてくれたのは、あの丘の上の前川正の姿であった。
「綾ちゃん!だめだ。あなたはそのままではまた死んでしまう!」
と叫び、
「綾ちゃん、僕は今まで、綾ちゃんが元気で生きつづけてくれるようにと、どんなに激しく祈って来たかわかりませんよ。綾ちゃんが生きるためなら、自分の命もいらないと思ったほどでした。けれども信仰のうすいぼくには、あなたを救う力のないことを思い知らされたのです。」
と、自らの足を石で打ちつけた彼の姿を思った時、真剣とはあのような姿をいうのだとわたしは気づいたのである。いや、真剣とは、人のために生きる時にのみ使われる言葉でなければならないと、思ったのである。

弱い者が、相手を天下の剣豪と知らずに言いがかりをつけている
わたしの同僚だった佐藤利明という先生は、何の信者でもなかったが実に立派だった。今でも札幌も真駒内の養護学校に勤めていられるが、この先生はわたしの学年主任だった。一年半の間机を並べたが、一度として人の悪口を言ったり、感情に激して怒ったことはない。いつも頭が低く親切だった。同僚の一人に意地の悪いのがいて、時々先生を小馬鹿にした。面と向かって馬鹿にするのだが、先生はいつも実にいい笑顔で、静かにそれを聞いている。
(何とか言い返してやればいいのに)
と、普通なら思う所だが、若いわたしたちでさえ一度もそう思わなかったほど、それはかえって見事であった。弱い者が、相手を天下の剣豪と知らずに言いがかりをつけている感じで、その二人の差があまりにも判然としていた。その時先生は三十そこそこの青年だった。

信ずるということはお人好しの行為
教会に通い始めたとは言っても、クリスチャンそのものに抱いていた、いくぶん侮蔑的な感情をわたしは捨てきれなかった。なぜなら、信ずるということが、その頃のわたしにはお人好しの行為に思われたからである。
(あの戦争中に、わたしたち日本人は天皇を神と信じ、神の治めるこの国は不敗だと信じて戦ったはずではないか。信ずることの恐ろしさは、身に徹していたはずではないか)
その戦争が終わって、キリスト教が盛んになった。戦争中は教会に集まる信者も疎らだったのに、敗戦になってキリスト教会に人が溢れたことに、わたしは軽薄なものを感じていた。
(戦争が終ってどれほどもたたないのに、そんなに簡単に再び何かを信ずることができるものだろうか)
どうにも無節操に思われてならなかった。

真実な祈り
そう思って教会に行くと、クリスチャンの祈る祈りにも、わたしは疑いを持った。
祈り会で次々に祈る信者の祈りを、わたしは聞いた。みんなが両手を組み、敬虔に頭を垂れているのに、わたしはカッキリ目を見ひらいて、一人一人の顔をじっとみつめた。
「天にまします父なる御神、この静かなる今宵、共に祈り得ることを感謝いたします。どうぞ主の御導きによって歩み得ますように、切に祈ります……」
などと祈る顔を眺めながらわたしは思った。
(ほんとうにこの人たちは、神の前に祈っているのだろうか。もしわたしが神を信じているのなら、神の前にあるというだけで、祈りの言葉など出てこないような気がする。ほんとうに神が、この世をつくり、この世を支配しているほどの偉大なる存在であれば、どうしてその畏るべき神の前に出て、べらべらと口が動くだろうか。この人たちは神の前に祈っているのではなく、人に聞かせるために祈りの言葉を並べているだけではないのか)
そんな思いがしきりにした。どうもウソッパチな姿に思えてならなかったのである。わたしが信者になったらなら、真実な祈りのできる、ほんとうの信者になろう、などとわたしは、傲慢な思いを持っていたのである。そしてその思いをわたしは、前川正にかくさず告げた。彼は、
「綾ちゃんは手きびしいなあ」
そう言うだけで、それ以上には何も言わなかった。

伝道の書
何の気なしに読み始めたこの伝道の書に、わたしはすっかり度肝を抜かれた。
「伝道者曰く。
空の空、空の空なるかな。すべて空なり。日の下に人の労して為すところのもろもろのはたらきは、その身に何の益かあらん。世は去り世はきたる。地は永久に保つなり」
そこまでの僅か一行半を読んだだけで、わたしの心はこの伝道の書にたちまちひきつけられてしまった。
「河はみな海に流れ入る。海は満つることなし。目は見るに飽くることなく、耳は聞くに満つることなし……。
先に成りしことは、また後に成るべし。日の下には新しきものあらざるなり。見よこれは新しきものと、指して言うべきものなるや。それはわれらの前にありし世々に、既に久しくありたるものなり……。
前のもののことは、これを憶ゆることなし。後のもののこともまた、後に出ずるものこれをおぼゆることあらじ」
わたしはここまで読んで、思わず吐息が出た。
わたしはかなり、自分が虚無的な人間だと思っていた。何もかも死んでしまえば終わりだと考えていた。だが、この伝道の書のように、
「日の下には新しきものあらざるなり」
とまでは、思ったことはなかった。毎日が結局は繰り返しだと思いながらも、しかしわたしは、やはりこの世に新しいものがあると思っていた。こうまですべてを色あせたものとして見るほどの鋭い目を、わたしは持っていなかった。
(中略)
つづいて、自分は知恵があると思っているけれど、愚かな人間の遭うことに自分もまた遭うのなら、知恵などあるとは言えない。利巧者も馬鹿者も、共に世におぼえられることはない。次の世にはみな忘れられている。みんな同じように死んでしまうのだ。知恵などあっても、結局は空の空ではない、と書いてある。
十二章に及ぶこの伝道の書は、この調子で何もかも空なり空なりと書いてある。わたしは少なからずキリスト教というものを見なおした。そしてまた、お人好しに見えるクリスチャンを見なおしたのである。

そもそも初めには虚無があった
つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じとってしまったのであろう。伝道の書と言い、釈迦と言い、そのそもそも初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通するひとつの姿を見た。
私自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしにひとつの転機をもたらした。
虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分人をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。
この伝道の書の終りにあった、
「汝の若き日に、汝の造り主をおぼえよ」
の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来わたしの求道生活は、次第にまじめになって行った。

生きるについてのもっとも大切な「何か」
妖婦てふ吾が風評をニヤニヤと聞きて居りたり肯定もせず
という歌、おみせしたでしょう。歌は「肯定もせず」ですが、わたしは自分の娼婦性は肯定します。天性の娼婦だと自認します。
でもね、意識的に男性を誘惑しようとか、だまくらかして金をまきあげてやれということは、しませんでした。だってわたしの欲しいものは、そんなものではないのですもの。
わたしは、男性の、わたしへの愛の言葉を、幼な子がおとぎ話を聞くような、熱心さと、まじめさと、興味とあこがれをもって聞いていたのです。なぜなら、男が女を愛すること、女が男を愛することは、わたしにとって大切な問題であったからです。
わたしのあこがれと熱心さが、何に向かっていたかご存じでしょうか。それは生きるについてのもっとも大切な「何か」を示されるであろうことへの期待だったのです。わたしの期待する「何か」と愛とは、つながっていなければならぬと、わたしは思っていたのです。
「ぼくはあなたを愛している。命をかける」
という、どんな女にもあてはまり、またどんな女にもあてはまらぬこの言葉。
「愛するってどんなこと?」
と尋ねたら、もうだめなんです。
なぜって、愛するということは、ある人にとっては「好き」ということであり、ある人にとっては「肉体を求めること」であり、ある人は「結婚すること」なんです。しかもその結婚の内容はあいまいなのです。ねえ、愛するとは何かわからないのに、なぜ愛すると言えるんでしょう。
私の生に対する不安が、結婚によって、男の胸に抱かれることによって、解決できるように考えている人は、それはわたしという人間を愛していることにはならないのです。
「女」を愛することと、「綾子」を愛すること、または「○○子」を愛することとは違います。わたしは生への不安、何ものへともわからぬあこがれを少しでもわかってくれる人があったなら、その人は、「私」をみつめて「私」を愛していたといえるかも知れません。でも、そんな人は現れませんでした。一緒の世界で力強くわたしを励ましながら、共に歩みつづける人を求めていたのですのに。
女に「魂」の生活があるってことを知らない男性たちが、何と多いことでしょう。きれいなブローチの贈物、映画や喫茶への誘い、そしてたいくつな会話。わたしは一人一人の胸をのぞきこみ、そして逃げ出した女です。
わたしはヴァンプというわたしへのレッテルを別に否定はいたしません。かくべつ美しくもなく、賢くもない、何の取柄もない女が、いつも何人かの男性と交際していれば、そう言われても仕方がないのです。
でも、わたしの血の中に、ただの一滴の男性の血も流れていないことを、ふしぎな哀しさで思います。誰かに、肉体のすべてを捧げていたとしたら、
「わたしは聖女よ。ヴァンプではないわ」
と言ったかも知れません。わかって?正さん。

自分の意志よりも更に強固な、大きな意思
この事件が、わたしの生活に様々な影響を与えたのは無論である。死は何の相談もなく突如襲ってくるものだということを、しみじみと感じた。わたしが死にたいと願ったあの夜の海べでは、わたしは死ぬことができなかった。しかし、いままた生きようと思いはじめた時に、死はいつわたしの上に訪れるか、わからないのだ。
死にたいということは、わたしの強烈な願いであり、意思であったはずなのに、しかも死ぬことはできなかった。いまは生きたいと思っていることも、確かにそれはわたしの願いであり意志であるはずなのに、何とわたしたちは人間の意志は、簡単にふみにじられることだろう。
そう考えてくると、わたしはこの世に、自分の意志よりも更に強固な、大きな意思のあることを感ぜずにはいられなかった。その大いなる意思に気づいてみると、平凡な日常生活の一日にも、確かに自分の意思以外の、何かが加わっていることを認めないわけにはいかなかった。

学びたいと思っている少女と、教えたいと願っている青年の一対
ある日前川は、わたしに大学ノートを一冊買ってきた。
「このノートにお互いの読書の感想をかきあいましょう」
彼は、わたしを少しでも成長させることに、喜びを感じているようだった。ゲオルギューの「二十五時」、リルケの「マルテの手記」、宮本百合子・顕治の「十二年の手紙」など、次々に買ってきては、わたしに感想文を書かせるのだった。
世の男女の交際は、こんな「宿題」を出すことはしないだろう思いながらも、わたし自身も楽しかった、リルケの言葉に、
「学びたいと思っている少女と、教えたいと願っている青年の一対ほど美しい組合せはない」
とかいうのがあったような気がする。わたしたちは、ほんとうにそんな一対になりたいと思っていたのだ。だから一層熱心に共に聖書を読み、英語を学び、短歌を詠んだのである。

人体の不思議
人体内の普通の化学作用では,わずかの原因から思いもよらない結果が出たりする。たとえば,一万分の二グラムというごく少量のヨウ素があるかないかで,健康か病気かにわかれる。

胎盤を通過する物質
動物を使って実験した場合,炭化水素の塩素誘導体の殺虫剤は,自由自在に,胎盤という障壁をよこぎる(ふつう胎盤は,母体内の有害な物質が子宮に入らないように毒除けの役目をしている).

化学元素の循環
バクテリア,菌類,藻類−この三つは,たえずものを腐敗させてゆき,植物,動物の残骸を,そのもとの有機物に還元する.もしも,こうした微小植物がなければ,土壌,空気,生物組織の間で行われている炭素,窒素のような化学元素の大きな循環運動は起こらないだろう.

殺虫剤による死
もっとあわれだったのは,地リスだった.どんなに苦しんだか,その死体はそのあとを無言のうちに語っていた.<背中をまるめ,前足は後足の跡とかたくかみあい,むねのあたりまでまるまっていた……頭と首をのけぞらせ口はあいたままで,どろがつまっていた.苦しみのあまりに土をかみまわったと考えられる.まさしく死の苦しみそのものだ.

子供への説明
鳥は殺されてしまったのよ,と子供たちに説明するのに骨を折りました.鳥を殺したり,捕まえたりするのは法律で禁じられている−みんな学校でならって知っているからなのです.

健全な植物,動物社会が成り立つ鍵
健全な植物,動物社会が成り立つ鍵は,多様性の維持ということなのだ.(イギリスの生態学者チャールズ・エルトンが言い出した概念).いま,私たちを悩ませている,大部分の禍のもとは,いままでの生物学的単純化・純粋化の報いといえる.

許容量を決める理由
許容量をきめるのはなぜか.みんなの食料が有毒な化学薬品で汚れても,作物の生産者や農産物加工業者が安い費用で生産できなければならない,という考えが根本にあるのだ.

人間の最大の敵
明かな特徴のある病気に普通に人間は慌てふためく.だが,人間の最大の敵は姿をあらわさずじわじわと忍び寄ってくる-とは,医者ルネ・デュボ博士の言葉

建築家とは
そして建築の製作者は単なる実技に馴染んだ技術人・職人,すなわちテクトン(tecton)ではなく,技術人中の技術人,原理を知って職人を指導しうる人,すなわちアルキテクトン(architecton)であった.
<西洋建築入門,森田慶一,1995,東海大学出版会>

私達の生命
私達の生命は風や音のようなもの…… 生まれ ひびきあい 消えていく.
<風の谷のナウシカ7,宮崎駿,1995,徳間書店>

生命とは
お前は危険な闇だ.生命は光だ!! ちがういのちは闇の中にまたたく光だ!!
<風の谷のナウシカ7,宮崎駿,1995,徳間書店>

ラピュタが滅んだ理由
今はラピュタがなぜ滅んだのか,私にはよく判るの.ゴンドアの谷の歌にあるもの.土に根を下ろし風と共に生きよう,種と共に冬を越え鳥と共に春を謳おう‐どんなに恐ろしい武器を持っても,かわいそうなロボットたちを操っても,土から離れて生きられないのよ.
<天空の城ラピュタ,宮崎駿,1986,徳間書店>

人の名とは
人の名というものは古代人には一身そのものを表すものとされており,同名なら同氏族・同血縁であり,相手の名を知ればその身を得るものだった.「万葉集」の歌の中に,求愛に相手の名のりを求め,自分の名もなのるということがあるのもそれである.
<武家の歴史,中村吉治,1977,岩波新書>

真の賢者
ただ言えることは,スレインは真の賢者だってことだ.知識だって豊富だし,古代王国の魔法にも精通している.しかし,あいつが本当に立派なのは,物事の真理を見抜いたうえで,表面に見えることだけを大切にして生きていくってことだとオレは思う.レイリアの心の傷を理解した上で,それがどうしました,と澄ました顔で言うような奴なんだ.
可笑しいことがあれば笑えばいい.怒りたければ,怒ればいい.一つの物事にこだわると,その他の物事が曇って見える.しかし,たとえ物事の真理が見えたとしても,それにこだわるあまり物事の表面に見えるものを見失うのは愚かなことだ.
<ロードス島戦記3,水野良,1990,角川スニーカー文庫>

できた人間
できる人間になるより、できた人間になりなさい。

夫婦や親とは
夫婦や親になるのでない。夫婦や親になっていくのである。
